9月前半の日誌
1日 (水)
学校始まる。
朝、おばあちゃんを本山で拾う。
左足をバタバタさせながらずっと寝ている。
昼間、酸素のチューブも抜けて、プラスチックのマスクをかぶっている。
6時~7時、面会④。
流動食が終わったとたんに便。
ちょっとだけ目をあけたが、寝ている。
チューブが抜けて声を出すかと思ったらはずれ。
2日 (木)
朝面会①、7時5分~おじいちやんと。
酸素マスクでまつ毛が濡れている。
マスクが左のまぶたにあたって、腫れている。
ティッシュを挟んでやる。
ずっと穏やか。
夜面会④。
東海病院のN先生来ていた。
先生の話でやや安心。
マスクもとれて、鼻のチューブだけ。
なかなか起きないが、咳をすると起きる。
見えているのかいないのか、目から涙が…
3日 (金)
朝、ずっと寝ている。昼、しばらく目をあけていて、最後にとても悲しそうな顔をしたらしい。
夜も同じ。
母、何度も呼び掛けるが、反応なし。
ナースさんが揺り動かして、手出しを然せる。
グーはできたが、チョキはだめ。
3日間昏睡状態だ。
それでも点滴のシリンダーがひとつ減った。
石川県から出張して名古屋で倒れた人が入院。
友達のk君が花を届けてくれる。
4日 (土)
朝、変化なし。
夜も同じ。
月曜日の検査で、タンからMRSA菌が検出されなかったそうだ。
火曜日にうなづいて以来、ずっと寝ている。
熱少しあり。
38℃ちょっと。
咳をしてカッと目をあけてもすぐ寝る。
命は助かったものの、あまりの反応のなさに心配になってくる。
呼び掛けたり、くすぐったりしても起きない。
隣のベッドのオバサン、「ようすけ君はいいね、みんなに来てもらえて。」
よくしゃべるオバサンだ。
5日 (日)
朝、祖母と。
寝ている。
反応なし。
一生懸命MDを聞かせる。
入院中、元気なときにいつも持ち歩いていた誕生プレゼントのポータブルMDだ。
中身はフィールドオブビュー。
そのあと部活の日曜練習。
母からのTELで、昼前の面会で呼び掛けに目を覚ましたという。部活後、2時すぎに面会③。体重を計ってもらっていて待たされる。目をカッと開いて、「わかる?」というと最初うなづいたように思えた。脈130、また38℃くらいの熱。
夜6時すぎ、風呂にはいってから面会④へ。
咳が多い。流
動食増える。
M母と祖父残る。
隣にいたオバサンは、車椅子で集中治療室に入れられていた。
6日 (月)
朝、穏やか。
しかし明け方39℃も熱があったと後で知る。
夜19時、「さっきまで起きていたのに」と言われる。
「おとーさんだよ」というと、うなづいたように思えたが…
M母来てくれる。
夜、KTEL。
山下洋輔の話などして、すこし元気になる。
7日 (火)
病院に向かう車の中で、「今日もいいことはないか‥」悲しくなる。
いいことは何もなかった。
また酸素チューブか?
2人して悲しくなって帰ってくる。
8日 (水)
朝、パジャマ姿で吸入。ベッドで上半身を起こされる。熱37℃ちょっと。
昼、TELで、伯父のMさんの呼び掛けにうなづいた?
夜、熱がない。
足をくすぐるとなんと右足も曲げて反応する。
しかし眠りこけている。
帰りのローソンで、母が「昨日より1kg体重が減った」と言う。
1日でそんなに痩せるとは!
たしかに顔の輪郭がごつごつしてきた。
夜、お好み焼き。
あまりをやけぐい。
10時半ごろソファーでTVみながら寝てしまう。
気が付いたら1時半。
こんどは寝られない。
昨夜は母が寝られなかったそうだ。
こんな調子では、とても学校の野外教育には行けそうもない。
というか、行きたくない。
交通事故の若い奥さんは個室へ、集中治療室にはヨウスケとKのおじさん。
ここに一月もいるとは予想しなかった。
9日 (木)
体育大会のため、朝病院に行けず。
3時のTELで、1~5まで指を立てることができ、何か言いたそうだったようだ。
昼間、婦長さんが、おばあちゃんに、「体の状態はよくなっています、もう少しの辛抱ですよ。」というようなことを言ったらしい。
6時20分ごろ面会④。
薄目をあけて何か言いたそう。
悲しそうな顔。
呼び掛けると、目をあけようとしているように見える。
頭を小刻みに上下させて、反応しているようないないような。
昨日15時間もオペにかかった脳腫瘍のオバサンは経過良好とのこと。
なぜヨウスケだけが…
夜大阪のHからTEL。
土曜、出張の帰りに名古屋に寄るとのこと。
10日 (金)
朝、昨日と同じように頭が震える。
夜、おなじ。
ベッドを起こして座っているような姿勢だったが、頭がガクンとたれるのでもとにもどす。
東京のKくんより電話。
11日 (土)
朝、変わらず。
おばあちゃんと。
8時20分登校、部活練習。
14時~15時すぎ病院。
HにTEL。
名古屋に来ているという。
15時半いそいで帰宅。
S、H、誘い合わせて家へ見舞いに来てくれる。
19時過ぎ、病院。右手をいっぱい伸ばした。
12日 (日)
「やめろ」と声を出す
朝2人で面会①。
7時~7時半。
変化なし。
一度帰宅して、父学校へ。
昼からDr.Sが説明してくれたようだ。
「体の状態は悪くないはず。どうして眠り続けるのかは分からない。」
今日はいいことがあったようだ。
Mさんが足を洗ったヨウスケに、クリームを塗っていたら「やめろ!」と大声でいったそうだ。
1ヵ月ぶりの声。
うれしくなる。
夜20時30分頃、従兄のYさん、娘と家へ見舞いに来てくれる。
13日 (月)
朝、寝てる。
おじいちゃん。15時TEL。
看護婦さん「この子泣いているんですよ。」
2,3日前、隣のベッドの患者さんが気管切開を受けるところを見たからではないかと。
本当だろうか。
夜は自分の通院があって、病院には行けず。
母、バスにて帰宅。
14日 (火)
朝、変わりなし。
学校へ。
16時前、学校に母からTEL。
Dr.Kの話を聞いたといって電話で泣いている。
「詳しくは会って話をするから、すぐ来て」と言われ、慌てて部活を生徒合奏にして、あとをM先生に頼み、日赤へ。
星ケ丘の渋滞がもどかしい。
入ったら話すという言葉に引っ掛かり、ハンドルを握りながら涙が止まらなかった。
16時半頃着いてみれば、今まで通りの生活は難しいという分かり切ったことを改めて言われただけのような気もするが…
どのくらい回復するかとの問いにDr.は「気分のいいときに近所を車椅子で散歩する程度には。」と言ったらしい。
それは意識が戻らないということなのか。
いつからか右目しかあかない。
夜、おじいちゃんの釣ったサカナを、いつも来てくれるM宅へ母が届けに行く。
その間、テーブルでずっと泣いた。
しかし母の買ってきた「臨死体験」の本に、交通事故で脳がはみ出して絶望的だった高校生が、何ヶ月もたって意識が戻ったという話が載っていた。
最初、母親の姿を目線で追いだしたのが、意識の戻るきっかけだったらしい。勇気づけられる。
15日 (水)
朝2人で出掛ける。
大雨だ。
昼、12時すぎ~14時半。
大きな目を片方、右だけをあけて、母が頬をつつくと嫌がって
動かなかった右手で振り払おうとする。
昨日は落ち込んだが、ここ2,3日の右手足の進歩はすごい。
夜、ナイターを聞かせてやろうと、ラジオを持っていくつもりで忘れてしまった。
18時半~19時過ぎ。
ナースさんに「アー、イー、ウンチ」と言ったそうだ。
いつのまに動くようになったのか、右手足、よく動く。
昨日厳しいことをいわれた割には、今週はいろいろ変化がある。
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