11月の日誌
1日 (月)
音楽会前日。
楽器満載で病院へ。
夜日赤へ行くのは最後。
3日 (水)
朝、食事前に日赤へ。
ヨウスケは朝食を済ませていた。
昼前、車椅子を押してサ○ナヘあいさつ。
T父さん、手術後に頼んでおいた、宗田理のまとめた白血病の女の子の本をプレゼントしてくれる。
昼から娘の予約した「嵐」のCDをとりにヨウスケとダイエーへ。
広いフロアーを、ぎこちないながらも、2Fまで歩き廻る。
エスカレーターから降りる時がちょっと恐い。
病院に戻って転院に備えて荷物運搬。
4日 (木)
東海病院へ戻る
夜19時~21時、東海病院へ。
おじいちゃんと、入院中に覚えた囲碁をしていた。
昨日もらった本は隅々まで読んだと言う。
母がサ○ナのTさんに頼んだ時、その本が読めるようになる日が来るとは思えなかったが…
5日 (金)
転院翌日に外泊2回目。
夕食後のヨウスケをのせて家へ。
7日 (日)
吹奏楽フェステイバル。
せっかくヨウスケが3日間家にいたが、土曜日は合同バンドリハーサルがI中であって、何もしてやれない。
ヨウスケ、早めに病院へ戻る。
12日 (金)
ヨウスケ19時帰宅。
3回目の外泊。
13日 (土)
母、ヨウスケと3人で大須へ出掛ける。
囲碁ソフトを探す。
ついでに、11日にサウンドオンで見た、TEACのMDプレーヤーを3万で買ってしまう。
昼、3人でそば屋へ。
O主人、顔を出してくれる。
ヨウスケをみて驚く。
14日 (日)
午前中フルートレッスンのため、出校。
午後、ヨウスケとドライブ。
マジカル~メガトン~アント。
つえなしでだいぶ歩ける。
囲碁ソフトにはハンデイをつけると勝てるようだ。
19時半(~21時)病院へ戻る。
15日 (月)
ヨウスケ、大部屋に移される。
東海病院の大部屋は狭くて付き添いのいる場所がない。
16日 (火)
朝、大部屋のヨウスケをのぞく。
まだ寝ている。
17日 (水)
毛布を持っていく。
もう11月も半ばだ。
19日 (金)
ヨウスケ4回目の外泊。
家の前で2台が衝突する事故。
21日 (日)
ヨウスケを乗せて、昨年まで所属していた野球チーム、ナンバーズの練習を北区の矢田川河川敷まで連れていく。
堤防に長い階段が。
杖をついてひとりで上り下りできた。
N監督さんは、ヨウスケの入院は知っておられた。
「よくぞここまで回復」と喜んでもらえた。
ヨウスケは3年の生徒と話していた。
昼から3人でバスに乗る練習をさせる。
大曽根まで行って、無事降りられる。
バスの中でも、吊り革につかまって立っていた。
大曽根からユニーを経て徳川町まで歩くのはしんどそう。
基幹バスで家まで戻る。
ドラゴンズの優勝ビデオと、CDシングル2枚買ってやる。
20時前、病院へ。
22日 (月)
17時半すぎ、父、引山の先の中華料理屋で2年の食事会。
電話でヨウスケ25日退院と聞く。
ヨウスケは再度5回目の外泊。
バスで帰宅。
23日 (火)
勤労感謝の日。
父は大須、母はデパート、娘は映画。
それぞれが勝手にすごす。
タ方ヨウスケと町内1周の散歩。
24日 (水)
夕方、雨中病院へ。
荷物を積込み、退院の準備。
ヨウスケは勝手に夕食を食べる。
談話室で週刊誌を読んでいたら、春日井高校A先生見舞い。
退院の翌日、金曜日に、高校へあいさつに行くことを伝える。
春日井の役所から、ヨウスケが入院前に勝川駅駐輪場で盗まれた自転車が発見されたので、とりに来るようにはがきが来ていた。
25日 (木)
東海病院を退院
朝、毛布を車に積む。
ヨウスケはまだ寝ていた。
昼から休みをとって、13時半車で迎えに。
一度家に戻り、点鼻薬を冷蔵庫にしまってから、Oの祖父母宅へ。
おじいちゃん、おばあちゃん、目に涙を浮かべて迎えてくれる。
この間、骨折で入院していたひいばあちゃんも元気だった。
そのまま勝川駅へ自転車をとりに行く。
交番でヨウスケ対応。
カーマホームセンターでボールペンを70本購入。
タ食は松阪牛のすき焼き。
食後、一家4人で、ボールペンを包装する。
K高校校長、N先生、わざわざ電話くださる。
26日 (金)
ヨウスケと母、勝川駅よりタクシーで高校へお礼に。
母は校長室でN先生と待っている間、ヨウスケは昼休み、教室へ顔を出したそうだ。
夜、23時すぎまでヨウスケは2Fの自室でごそごそやっている。
2Fにまた灯りがともる。
暑い夏が持ちこたえられるか心配したが、今はクリスマスシーズンも近い。
27日 (土)
ヨウスケ、母と3人で八事日赤病院にお礼に行く。
サ○ナに車を入れ、Tさんにあいさつ。
駐車場では本当にお世話になった。
日赤の5病棟5F、脳神経外科、ここにヨウスケは3ヵ月いた。
と言ってしまえばたった3ヵ月なのだが、いろいろ大変だった。
ナースさん達が、わっと集まり、にぎやか。
暗い東海病院とは大違いだ。
28日 (日)
朝食後、午前中のセミナーには参加せず、帰宅。
10時、快気祝いの伝票をもらってきて、家で書く。
15時ごろ、親戚のY、H、M氏、見舞い。
そのあと、H夫妻、名古屋に用があったついでといって来てくれる。
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