再発のいきさつ
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8月28日

東海病院眼科受診。視野の検査3年前の手術で「右半盲」なのだが、今回の検査で、右目の視野がさらに極端 に狭くなっていること、右目は矯正視力がでないことがわかった。 「頭」に新たな原因があるとしか思えない。 何かがおかしいと思い続けてきたことが、客観的な事実として目の前にある検査表から、確信に変わった。 何も無 いはずがない。

8月29日

日赤脳外科へ
Sdr.に3年前と今回の視野の検査表をもって話を聞きに行く。
検査入院の時のMRIで、右の視神経に注目すると、何かがある。 が、それが炎症なら、ホルモンの補充で飲み始めた副腎皮質ホルモン(ステロイド)で改善されるはずだという。 「再発」は考えられないし、これが腫瘍なら、手術できるような場所ではなく、放射線なども副作用の方が大きく手は打ちづらいという。
そんな恐ろしげな話を本人の前でしても良いのかと思うのだが、幸か不幸が本人は話の意味がよく分かってない様子。
もう一度MRをとってから考えることになった。

8月31日

ホルモン治療をする東山内科に初受診
性ホルモンの注射、甲状腺と副腎皮質ホルモンの薬の服用。 これが一生続く。
帰り道、次回からは1人でこられるようにと、道順の説明をする。 軽い気持ちで始めたのだが、馴染みの地名ばかりなのに、通りに沿って向こうは○○、こっちは△△ 、たったそれだけのことが何度やっても覚えられない。 知的な部分で も障害を負ったことが、確信に変わった。

9月2日

1日にトライデントの体験入学。
夕食時、父が「きのうどこへ行ったんだっけ」と聞くが覚えていなかった。

9月3日

日赤でMRI

9月5日

MRの結果を母1人で聞きに行く。 この日に結果を聞きに行くことは、29日の受診の際に本人の前で決めていたことだが、事の重大さを理解できないのか、覚えていないのか、結果を気にするような素振りもなく、本人は学校へ行った。
右視神経の上に腫瘍がある。 初めはそれだけの宣告だった。 最近の本人の知的な部分での異変を話すと、そんな部分に影響を及ぼすようなものは…と言いよどみながらMRI画像を注視して初めて、「ここにも、ここにも腫瘍がある」と。 前の腫瘍の再発とは考えられないし、どのような処置をとるか、症例検討して考えるから時間がほしいと、Dr.は言った。19日にもう一度日赤へ行くことになった。 まさか、また新たな脳腫瘍に?あまりにもむごい宣告に呆然となった。
学校から帰ってからも本人は「MRIの結果は」と聞くこともなかった。

9月12日

Dr.から電話があった。放射線の治療をするので、17日入院するようにとのこと。
3年前の手術で取り除いた腫瘍は、病理検査でも完全に良性な奇形種であった。 それゆえ、再発の可能性はないはずだったのだが、もともと複合的な腫瘍で、手術の前に東海病院でかけた化学療法で消えた腫瘍があったと考えるしか、今の状態を説明することはできない。 それならば、放射線の治療で腫瘍は消えるはずだという説明だった。

9月17日

入院。 放射線が効かなかったら、どうなるのだろう。 不安で仕方ない。


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