10月の日誌
ライン
1日 (金)
父、初めての泊り

 7時半、母TEL。 あまりいいことはいってなかったような…  娘の弁当を作る。 朝は病院には寄れず。
 夜19時すぎ、部活を終えて西山廻りで病院へ。 渋滞。 母、泣いている。 「かわいそう。」と。 足が痛いといってリハビリ中止。 シャワーをしてもらったそうだ。 昼食半分、タ食1/3とメモにはある。 本人は「半分は食べた。」と言い張る。 19時半、母帰る。 ヨウスケ、ぼそぼそしゃべる。 こちらが話すとしきりにうなづく。
 「お母さんが24時ごろ来るまで、お父さんがいるよ。」
 「お父さん、ずーっと居て。」
 「お父さんは寝ちゃうから、だめだ。」
 「お父さんがいい。」と言う。
 「音楽何しよう?」
 「お父の好きなのでいい。」
 入り口の扉をあけたままではあるが、個室は有り難い。 小さな音でバッハのギターのCDをかける。 母にTEL。 「今日は泊まることにするから、ゆっくり休め。」 21時10分前、「20分で戻るから。」と言って、病院の駐車場から車をサ○ナヘ移す。 ローソンでタマゴサンドとカンコーヒー、おにぎり。
 ヨウスケはオシメを外してしまっていた。 テープがすぐダメになる。 ヨウスケ、「トランクスがいい、持ってきているはずだ。」と何度も言うが、見つからず。(棚の上にあった) オシッコと言っては50cc位。 そのたびにナースコール。 「腹減った。」 と言うので、サンドイッチとコーラを少々。 「お父のラーメンが食べたい。」と言うので、カツプラーメンを少々。 湯沸かし室の湯が冷めかけていて、かたいラーメンだ。 「まだ腹へってる」 「今日はだめ。明日、しっかり食べな。頑張らなくちゃ。みんなが願っているし、神様も護ってくれてるかもしれないよ。」 と言うとすなおにうなづく。 婦長さんに湿布をはってもらう。 母には、「どうせ夢なんだから食べなくってもいいんだ。」といったそうだ。
 23時55分、ヨウスケおだやか。
 2時暑い。 タバコを吸いに下へ行く。 戻ったらヨウスケ、「おしっこ」と言う。 ナースさんに、パンツ式のおむつをもらう。 日記を読み続けて3時。
 4時半、タバコを吸いに下へ。
 6時、起きる。
2日 (土)
 7時ごろ祖母くる。 朝食時に母と交替。 8時過ぎ学校へ。
 父昼すぎ知多家で昼食後、病院へ。 ソファで寝てしまう。 ビール1本のんで、車洗って、適当にタ食。 TVを見ていてつい遅れ、21時すぎ、自転車で病院へ。 ビール2カン持っていく。 車は楽器満載なのだ。 22時すぎ、「ラーメンたべたい!」クロワッサン丸ごと1個、ゼリー少々。 「卵サンド食べたい、プリンがたべたい。」としきりに言う。 「寝たら明日のためにコンビニに行って買っておいてあげるから。」と言うが、なかなか寝ない。 足首に湿布。 左肩から腕にかけて、小刻みに震える。 24時すぎ、鎮痛剤をもらう。「あたまが痛い、足が痛い。」
3日 (日)
 5時に起きるとヨウスケはもう目を覚ましていた。 昨夜の統きで、「卵サンドが食べたい。」と言うので、「横になって待ってな。」と言い残し、急いで角のローソンヘ。 5病棟を下の救急入り口までおり、信号を渡って杁中方面へ少し行ったところにある。 慌てて戻ると、ヨウスケ、ベッドに起き上がって待っていた。 卵サンド1人前+父の分のミックスサンド半分、プリンを食べて、ジュースを飲む。 ミツクスサンドを食べながら、「こっちのほうがおいしい、レタスが入っている。」などと言う。 6時45分、家へTEL。 7時前おばあちゃん来る。 10時すぎ、母来る。 しばらくソファーで寝て、自転車で帰宅。 車に乗り換えて、12時からK中合同バンド練習会へ。 「聖者の行進」を振ることになっていたが、I先生に頼んで、病院へ戻る。 途中西山団地の薬局で、筋肉痛の塗り薬を買う。 ヨウスケは、「お父はまだか。」とずっと待っていたそうだ。 16時、K中へ戻る。 19時、電話で催促をうけて、病院へ。 卵サンドとプリンとヨーグルトなど食べる。 「まだ食べたい。」というのをやめさせる。 「泊りはお父がいい。」と言うが、車に楽器が積んであるため、母泊。 夜22時すぎから、H、S、K、KヘTEL。 寝たのが1時。
4日 (月)
 朝7時半、車の中で携帯鳴る。 「昨夜は1時まで起きていて、7時まで寝ている。」とのこと。 14時~16時、集会と職員会の時、学校を抜け出して病院へ。 おばあちゃんだけいた。 昼食は半分しか食べなかったが、そのあと卵サンドを食べる。 携帯トイレ、2回目でウンチ。 昼も出たとのこと。 その後、「お腹痛い。」と言う。 スープを飲みたがる。 リハビリの先生に足の痛みを訴える。 学校に戻って部活終了させる。(部長選挙=Iになった)
 帰宅後、夕食の出来合いのハンバーグを焼いていると、娘がオムレツを作るといって、並んで台所に立つ。 その時電話。 タ食を全部食べた後、「卵サンド!」と言っているらしい。 今までの反動か、いくらでも食べたがる。 「どこかおかしいのではないか。」と母。 Dr.Kは「体が欲しているのか、満腹感がないのかどちらかだ」と言う。
 風呂に入ってから病院。 20時すぎ。 寝ていると思ったら起きた。 母、タ食を食べに出る。 その間、便器に座ったりオマルをあてたり。 お腹が痛いのに「卵サンド」と言う。 ナースさんと相談して、「ヨーグルトなら食べてもいいか…」ということになる。 「お母はたべさせてくれんもん。」と言う。 21時15分~ローソンでなるべく大きなヨーグルトというリクエストに答えて、2個買う。 病室に戻ったら、寝ていたのに、ヨーグルトはと言うとガバッと起きた。 あっという間に食べる。 22時帰宅。
 昨日寝たのが1時。 早く寝ようと思っても、体はクタクタなのに起きていたい。 ふとヨウスケのことを思い、涙する。 ピアノの上に父母の写真の横に、いつ置いたのか、元気な時のヨウスケの写真が飾ってある。 あの元気なヨウスケに戻れるのだろうか。 何でこんなことばかり我が身にふりかかるのだろうか。
5日 (火)
 6時に起きて、娘の弁当づくり。 肉3切れ、ピーマン、べーコン、卵焼き。
 朝食を作っているときに病院より電話。 昨夜は1時ごろまで寝られず、睡眠薬をもらい、朝は寝ているとのこと。
「午前中2コマ空いているので、病院に行こうか。」
「連日ではいつもお父さんが来てくれると思ってくせになるから、やめとき。」
それもそうかと思い、16時に学校を出る。 テスト前で今日から部活はない。 帰宅してビール1缶。 TV見ながらうたたね。 娘、19時近くに帰宅。 母さんの作った八宝菜で夕食。
 ヨウスケ、昼食全部+ヨーグルト。 タ食半分。 親子丼、スープ、うなぎ。
 電話で、ヒステリックブルーのCD(妹に貸してあるかもしれない)を持ってきてほしいと伝言。 母がこの電話をしているうちに、ヨウスケ、自分で歩こうとしてベッドから落ち、パニックになる。
 ヨウスケが言っていたように娘が持っていたCDを持ち、昨日の林檎ヨーグルトを買って20時前病院へ。 パニツクが続いていて、ベッドにうつぶせになって泣いているヨウスケをはじめて見た。
 「現実に戻りたい。現実に戻りたい。」
 ベッドの支柱に頭をぶつけ、舌を噛むふりさえする。
 「死にたい!」
 母、おろおろと泣くばかり。 こんな時、教師根性が頭をもたげ、なんとか宥めようとする。(M中のSがパニくクった時、H先生と一緒に説得していたことを思い出していたような気がする) 看護婦さんも話相手になってくれる。 母も気をとりなおし、ヨウスケの持っていた硬式ボールを見せて、説得。
 「ここになんて書いてあるの。」
 ボールには、いつ書いたのか、”NEVER GIVE UP”とあった。
 「妹に会いたいか?」
 「すぐ連れてきて。」
 「ぼくの高校はどこですか。ぼくの親友はだれですか。」と親に聞く。
 「先生も、友達も、みんな心配して電話してくれているよ。」
 「おじいちゃん、75才で、腰が痛いのに、ヨウスケのために毎日病院に来てくれているんだよ。」
 「お医者さんも、看護婦さんも、一生懸命みてくれているんだよ。」
 ポータブルトイレにすわり、自分で「頭が混乱している。」と言った。
 母は泣いていたが、自分で「頭が混乱している」と言えるのはすごいことではないか。 手術前に、CDを妹に貸してあったことを覚えていたのは、頭がはっきりしている証拠ではないか。
 便器でウンチが出て、睡眠薬をもらって(「もう1個くれ。」と言うののやめさせる)ちょっと落ち着く。 20時50分、母帰る。
 「何かあったら父さんを呼ぶんだよ。」
 父予定外だが、母の泣いている姿を見て、泊まることにする。 「夜起きてしまったら、ヨーグルトはOK。卵サンドは朝食まで我慢。」と約束させる。 21時半、廊下の電気が消える。 穏やかな夜であるといいのだが…
 22時、CDでバッハのギターを流し続ける。 眠れるように静かな音楽を…  病院に入る前にローソンで買った中スポ「ドラゴンズ優勝記念号」が、近いうちに読めるようになるといいのだが。 することがないので、この日記をずっと読み返す。
 今日、授業で、ヒアリングのテープで大江健三郎の話がすこしあった。 前の教科書に、大江健三郎氏の息子の話が載っていて、息子光さんが初めてしゃべった言葉は「クイナです」。 うちの息子が手術後初めてしゃべったのは「やめて」「右腕」「マッサージもういい」だったという話をした。
 22時40分、おしっこ。 22時50分スープを50cc。
 ヨウスケにはmoral suportが必要だ。 できるだけ泊まってやりたいと思う。 「死にたい」といったのは「つらい」という意味だったと思うことにしよう。 23時45分ヨウスケ暑いのか寝返りをうつ。 顔は汗だく。 今部屋には車椅子が置いてある。 1ヶ月前には想像もできなかったことだ。 It's getting better all the time.
 24時半~5時、父子ともによく寝る。
6日 (水)
 6時30分、家へ電話。N氏がビールを1ケース持ってきたらしい。
 昼から教研集会をパスして帰宅。 床屋へ。 髪を刈られながら熟睡。 床屋の親父に「徹夜でもしたの?」と言われる。
 夜、娘を連れて病院へ。 劇的な7週間ぶりの再会ではなくて、娘は1言も話さない。 ヨウスケもお疲れ。
7日 (木)
 朝7時、病院からのTELで起きる。 寝過ごした!  娘も寝ていた。 7時20分に娘が出掛けるというのに…  ご飯を妙飯にして、残りとソーセージの玉子、煮豆で弁当を作る。
 夜20時前に病院。 寝ようとしている。 10分ぐらいで帰る。 車庫の前で、犬の散歩のG父と会い、立ち話をしていたが、いつの間にやら家でビール。 ほどなくH母も来る。
8日 (金)
 娘、部活再登校のため、弁当不要。 ほっとする。
 高蔵高校、吹奏楽フェステイバルの打ち合せのあと、17時前に病院。 車椅子を押して散歩。 そのまま父、泊。 眼科でみてもらい、リハビリルームでリハビリをやり、疲れていそうなのに、夜中から目がランランと輝く。 父は1時間ぐらい寝るが、ヨウスケは寝られない様子。 いろいろ考えることがあるらしい。 いつも同じことばかり考えていると言う。 睡眠薬を半分飲み、1時間後に残りの半分を飲むが、ダメ。 「お話、しよか。」と言うと、ウンとうなづく。 修学旅行のこと、矢田中の事を話す。 5時ごろ、ナースさんに助けられて、立ってオシッコをしたようだ。ナースさんが「お父さん、寝られないね。」と言うと、ヨウスケ、「お父は帰って寝ていいよ。」と言う。ナースさんにヨウスケは敬語を使うようになっている。ほとんど寝ない。
9日 (土)
記憶を取り戻す!正確には現実を受け止める

 朝早くにおばあちゃん来る。 ヨウスケ、やたらとしゃべる。 自分で「記憶を取り戻した。」と言う。 「お父がいろいろ言ってくれたので思い出した。」 しかし、手に持ったティッシュか何かのゴミ、目の前にごみ箱があるので捨てればいいのに、「これ、どうすればいいの。」と聞く。 分からないことが多い。
 「僕、変なこと、言ってなかった?」と尋ねる。 「変なことって? 他の患者さんには変なこと言っている人もいるけれど、ヨウスケはそんなこと言ってないよ。」 「いや、確かに言っていた。『現実に戻りたい。』とか。」 自分で訳が分からないことを言っていたことに気付いたようだ。 学校へ行き、部活とテスト印刷。 15時半すぎに病院へ。 起きて、メガネをかけてTVを見ている。 ノートに文字を書いた。 名前、電話番号、住所、ちゃんと覚えている。 英語で I like baseball.
 夜20時、古いビデオデッキを持っていく。 中日の試合を少し見る。 ずいぶん普通の顔になった。 顔つきがヨウスケらしくなる。 家へ戻ってくる確信が持てた。 教会のI夫妻、K中のF先生、お見舞い。 母、泊。
10日 (日)
 朝まで寝られたらしい。 13時過ぎ、父病院へ。 車椅子で院内散歩。 車椅子を足でこいで「こっちのほうが(手で車輪を回すより)楽だ。」と言う。 教会のKさん、Mさんお見舞い。 父は娘とユニクロ、ダイエーにつきあう。 タ方、母と交替。 トイレは13時~16時の間なし。 父は14時頃までときどき寝るが、ヨウスケは2日前と同じで全く寝ない。 「この部屋(集中治療室のとなり)は覚えたが、車椅子で廊下に出ると、毎回違ったところのような気がする。」と言う。 足の裏の感覚がおかしいとも。 アルバムを見て話す。 持参のアルバムを見て話す。 右手がしばらく震える。 3時過ぎから、ベッドの上に座り込んで、タオルケットをきちんと折り畳もうとする。 「手伝って欲しくない。やると決めたことはやるんだ。」と言って、いつまででもやっている。
 朝5時、「7時までは、寝られなくても横になろうよ。」と言うと「ウン。」結局そのまま9時すぎまで寝る。
 明け方、集中治療室でヨウスケの右隣にいた、透析をしていた患者さん、亡くなる。 ヨウスケと同じくMRSAに感染していた。
11日 (月)
 9時すぎ、朝食をすべて食べる。 まず廊下を車椅子で散歩、ついでに車椅子ごとトイレにも行く。 トランクスをはく。 ほんの少し、玄関先まで車椅子で散歩。 売店でチーズとパンと焼きそばを買う。 昼前、お風呂。 3回目。 11時母来る。 12時交替。
 父、家で昼寝。 16時すぎまで。 ヨウスケはS君に電話。 昼から初めて、友人の見舞いあり。 Nくん、Hくん、Kくん、Nくん、Hくん、Kくん。 トランプをやったらしいが、ヨウスケ、テンポになかなかついていけなかったようだ。 夕方Oくん、2人で話し込んでいると母より電話。
 7時父行く。 ヨウスケ、TVで「コナン」を見ている。 母に娘のタ食の残りをお弁当にして持参。 母、トイレに言ったきり、なかなか戻ってこないので、様子を見にいくと、洗面所でよその奥さんと笑顔で立ち話をしていた。 久しぶりに見る母の笑顔。
 この日、ヨウスケは22時半~5時、ぐっすり寝たらしい。 家から親戚、友人中に電話。 高校の先生に第3信、ファックス。
12日 (火)
 テストの為、一社の吉野家で昼食、14時過ぎ病院へ。 おばあちゃんだけいる。 母買物。 おじいちゃんは栄まで、ヨウスケの為に囲碁の本を買いに行った。 リハビリの宿題で、塗り絵と小学生の漢字、「3日かけてやれ。」と言われたものを、病室にもどってあっというまに終えてしまったらしい。 トイレにも自分で車椅子をこいで行ける。 「リハビリの先生が、自分でやれることはやったほうがいいと言っていた。」とヨウスケ。 リハビリにもなるとか言って、ゲームボーイのソフトを買ってもらってやっている。 タ食、ハヤシライス。 食べおわるころ、春日井高校のA先生訪問。 父、21時すぎ、隣の知多家でチキンカツ。 母、21時半ごろ来ていた。 公衆電話の時間が過ぎてしまったので、病室のベッドから、こっそり携帯でS君に電話。 自分で電話するまで回復できるとは!
13日 (水)
 テスト採点のため、病院に行かず。 術後初めてである。 副担任S先生、K中スタッフ?見舞い。
14日 (木)
 父、Y医院へ。 久しぶりに診察を受ける。(ずっと薬だけもらっていた) ヨウスケが体の不調を訴えたときに行っていたのがY医院なので、先生も心配していた。 「すこしでも体が動けば、あとはリハビリでかなり回復する。」と言われた。
 7時~8時、個室から大部屋に移ることになったそうで、不要の荷物を運び出す。 M母、手伝ってくれる。 ヨウスケが歩行器で歩くのを見た。 左足がおぼつかない。 足をひきずっている。
 母「リハビリの様子からして、ヨウスケの状態はそう簡単ではない。 左半身全体が不自由である。 右は痺れている。 最初できた動作が、時間がたつにつれてできなくなるものもある。 とはいうものの、リハビリの先生が教えている患者さんでは、ヨウスケは1番進歩が早い。」
15日 (金)
最初の大部屋に移る

 午前中の2時間空きで病院へ。 病院の駐車場に30分も待って入れる。 結局病室には20分くらいいただけだが、荷物を2袋持ちかえる。 ヨウスケは入院当初と同じ大部屋に移った。
 学校へ戻り、授業をやり、部活もやり、帰宅。 夕食は病院から持ち帰ったレトルトカレー。 20時から病院。 ヨウスケ22時には寝る。 大部屋の付き添いは狭い。 ベッドの脇に、担架の様なベッドを置いて寝る。 布団は床にしっかりはみ出ている。 夜中、父だけ2回程起きる。
16日 (土)
 4時半に起きた記憶はあるものの、気が付いたら起床時刻の6時。 ナースさんに起こされた。 ローソンヘ朝食買い出しに。 新聞とサンドイッチとおにぎり。 8時前におばあちゃん来る。 娘が欠かさず撮ったドラマのビデオ、3倍速で、古いデッキではうまく映らない。
 部活のため、病院から学校へ。 昼すぎ、母より学校へTEL。Hが東京出張のついでに名古屋へ寄るとのこと。 三洋堂でヨウスケのリクエストでドラクエの攻略本を買い、家で待つ。15時過ぎ、新幹線よりTEL。本山のバス停でHを拾って、病院へ。 プリンをいただく。 東山まで送る。 マツザカヤストアで買物。 夜はカレー。 他にも、矢田中の時の友達、Kくん、Fさん、学童のM母、M母見舞い。
 20時すぎ、母と交替。 母は車椅子に乗って寝ていた。 ヨウスケ、料理番組のTV、21時まで見る。 救急の入り口から携帯でT,Sにはじめて連絡。 22時頃父寝てしまう。 ヨウスケも23時~6時ぐっすり。
17日 (日)
 20時すぎ、出校。 合同バンド練習会。 5時まで。 フルートレッスンもあり。 娘にTELすると、「ご飯は食べた。」と言うので、直接病院へ。 S夫妻さっそく見舞い。 夜、Kくん、川崎からTEL。SにもTEL。
18日 (月)
夜、テレビを見ている。
19日 (火)
 午前中2時間あきで病院へ。 ヨウスケ、杖を使って数歩歩く。 夜、M家へ刺身を届け、ビール少々。 夜は病院に行かず。
20日 (水)
 I中のY母、娘、ヨウスケ見舞い。 A先生、ネパール登山のビデオを持って来る。
 7時、帰宅、娘と夕食。 母にお弁当を持っていく。 母、2日間寝られない。 ヨウスケ左手足弱々しい。 自力で20歩ぐらい歩いたそうだ。
21日 (木)
 M先生を本山まで送って病院へ。 駐車場を出るとき、隣のクルマにこすってしまう。 普通だったら考えられない事故。 疲れているのか?  母、最後の泊り。
22日 (金)
 日赤病院最後の泊りは父。 8泊め。 母は16泊。 あわせて24泊。 21時ごろ寝て、0時半トイレ。 5時半トイレに起きてそのまま、起きている。
23日 (土)
 コンビニに朝食を買いに行く。 朝刊はまだ来てない。 8時母来る。 8時半学校へ。 メインバンドとジャズバンドの練習が12時まで。 そのままタ方まで仕事。 16時、病院へ行くと、矢田中時代の友人4人来ている。 Sくん、Oくん、Kくん、Kくん。 大きな子ばかりだ。 日本シリーズをヨウスケと見る。 ドラゴンズ、工藤に奪三振新記録をとられ完敗。 個室に移って7日目の9月30日、中日優勝決定戦のとき、ヨウスケはTV自体を見ることができなかった。 あれから3週間と2日、今、ヨウスケは大部屋に居て、自分でTVをつけて見ることができる!  21時すぎ、試合が終わって父帰宅。
24日 (日)
 朝、合同バンド練習会のため、楽器を車に満載したまま病院へ。 ヨウスケに父の教え子のYさんの手紙を見せる。 いつも見ていたTVのサンデードラゴンズまで、院内を車椅子で散歩。 術後初めての写真を渡り廊下でとる。 売店まで行く。 12時、弁当を食べて、K中へ直行。
 見舞い:春日井高校5名+先生。 父のいとこ。 クラスの女の子。
 21時、母を迎えにいく。
25日 (月)
 夜20時ごろ病院へ。 アルプスの氷河から発見されたアイスマンの話をTVで一生懸命見ている。 「早く寝ると、朝起きてしまうので、20時までは起きている。」と言うので、21時に帰る。
26日 (火)
 7時の電話で、ヨウスケ、外泊どころか、転院、退院の話が出たことを聞く。
 8時~9時、日本シリーズをヨウスケと見る。 中日が4点入れられたところでTVをあきらめる。 金曜日には家に外泊できるとのこと。 帰りぎわ、ヨウスケ「腹へった。」と言う。 お見舞いのクッキーを2枚たべる。 体重が50キロぐらいになって母が気にしている。 「満腹感が感じられないのかな。」というと「満腹中枢がおかしいのかな。」とヨウスケ。 「えらい言葉を知っているな。先生から聞いたの?」 「TVでやってたから、知ってるよ。」
 帰宅するとKから、キースジャレットのソロピアノのCDが届いていた。 手紙に「とりあえずお祝い代わりに」とある。 高校の時は話したこともなく、名古屋に戻ってからO氏宅で正月に1度会うだけの間柄なのに、こうしてCDを送ってくれたり、川崎から電話くれたり、いろいろ心配してくれてうれしくなる。 22時すぎではあったが、さっそく川崎まで電話。 キースも病から復帰したのだそうだ。
 8月、ヨウスケは二度と家に帰ってこないと思っていた。 その前にも、7月、東海病院に入院したころ、夜、コンビニでブラスの譜面をコピーして家に戻ってくると、玄関の上のヨウスケの部屋に灯りがついてないだけで泣けてきた日々。 そのヨウスケの部屋に、また灯りがともる。 なんと感謝すればよいのだろう。
 親にとっては、息子が戻って来られるだけでうれしいのだが、本人にとってはまだ不自由なカラダ、高校へ戻れるかどうかわからないカラダはつらいものがあるだろう。

父の友人、K氏からCDに添えられた手紙:
 「前略 T殿
 ご子息の意識不明よりの帰還、心よりお喜び申し上げます。
 昼夜を問わぬつききりの看病、さぞや大変だったでありましょう。 これからは完治に向けてもうひとふんばりであります。
 久しぶりにキースジヤレツトの新作を聞いたらよい出来だったので、とりあえずのお祝い代わりに送ります。 看病疲れをいやす時間にどうぞ。
 ヨウスケ君の完治、社会復帰もそう遠い先のことではないでしょう。 本人に治ろうとする意志がある限り、必ず治ります。 彼とは一面識もありませんが、とにかくガンバレと伝えて下さい。 では、また。  K」
28日 (木)
 夜19時すぎ病院へ。 大部屋の入り□に寝ている高校生(名古屋国際だと言っていた)と日本シリーズを見る。 声を掛けてみたら、相当の野球ファンだ。
29日 (金)
ヨウスケ3ヵ月ぶりの一時帰宅

 18時すぎ、杖を片手にヨウスケ帰宅。 乾杯。 4人で本当に久しぶりで食卓を囲む。 父が「最後の晩餐」となることを恐れた8月1日以来だ。 入院したのが7月9日。 長い長い4ヵ月だった。 感謝せずにいられない。
 翌日のお祝いに来られないからと、G夫妻訪ねてくれる。 ヨウスケ1Fの座敷に布団を敷いて寝る。 父、念のため隣の居間のソファで寝る。
30日 (土)
 久しぶりに家で過ごしたヨウスケ、何をしていたのだろうか。
 父、17時頃帰宅。 学童のメンバーを呼んでお祝いの会。 M母、Y母、M夫妻そしてこども達。 たくさんの人がきてくれた。
31日 (日)
 父、午前中部活。 午後合同バンド練習会でK中へ。 楽器を降ろしたら、練習には出ずに帰宅。 ヨウスケと母を乗せて三洋堂へ。 歩きかたはぎこちないが、なんとか歩ける。 父、再度K中へ。 夜、4人で夕食後、ヨウスケを20時半、病院へ連れていく。

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