8月後半の日誌
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16日 (月)
肺炎を併発

 吹奏楽部練習再開。 7時、サ○ナに車を止め、30分だけいる。 今日もおじいちゃん。鼻に酸素チューブ、呼吸は荒くない。 「手を握ってごらん。」と言ったら左手は握りかえした。
 部活練習後、1時すぎ、母より学校へ電話。 「肺炎を起こしている。先生が説明するからすぐ来て。」あわてて日赤へ。
 Dr.Sから「肺炎で全身が衰弱しており、特に血液の状態が悪い。梗塞は広がってはいないが、不測の事態も覚悟してほしい。」というようなことを控えめな言葉で言われた。 意識が戻ることだってあることを確認して話を終える。 面会。 山形よりY姉、かけつけてくれる。
 「希望をもって、希望をもって」と思っても、今日のDr.Sの言葉で、希望の光がぐ~んと小さくなってしまった。 ぼそぼそと燃えているヨウスケの命の炎、何とかともり続けてほしい‥
 T中に、借りたジャズの譜面を返し、帰宅。 娘は2Fで何か一生懸命やっている。 チャイムが鳴って、突然思いがけぬ訪問者。 IとK。 Iは息子が吹奏楽部にいるし、風呂釜の交換などで世話になっているが、Kはホンダのポルトガル支社にいるはず…  今はイタリア勤務で、夏休みで戻ってきたとのこと。 彼は結婚式前に家へ来たことがあるだけだ。 ヨウスケのことを告げると、2人ともびっくりしていた。 こちらがあまり悲観的なことをいうので、Kなど「手をつくしたのだからしかたがないではないか。」とまで言う。 I父のために2年前の音楽会ビデオなどを見せ、気が紛れる。
 意識不明のまま家へ帰ってくるのではないかという悲しみが、今日、この夏を乗り切れずに天国に行ってしまうのではないかというもっと深い悲しみに変わる。 今までの悲しみに戻れるなら戻ってほしい。 生きていてほしいと切に願う。
 2階でヨウスケのアルバムを見る。 修学旅行の時の楽しそうな笑顔、あの笑顔にはもう会えないのかと深い悲しみに襲われる。
 娘と夕食。 おかずを一品つくる。 母、Mさんの車で帰宅。いろいろ話す。
 「8月は妹の生まれた月、ヨウスケが生き返る月。 8月になくなった両親が見守ってくれる。 頭さえどうこうなっていなければ、ヨウスケは強いからきっと帰ってくるよ。」
 タ方、ヨウスケが死んでしまうことばかり考えていたので、少し勇気づけられる。 9時すぎ、音楽のT先生にTELして、ブラスの練習をしばらく見てくれるよう頼む。 快く引き受けてくれた。
 ブラームスドイツレクイェム(カラヤンのビデオ)「人の命は草の花のごとし」と歌っている。 福永武彦の小説の題にもある聖書の言葉。 泣けてくる。
17日 (火)
 朝7時~7時半、吸入をかけられて、むせていた。 あとはおだやかに寝ている。 血圧60~110。脈100ぐらい。 意識は全くない。 術後11日め、今、目の前の、手の届くところでヨウスケは生きている。 何とか助かってほしい。 名大の横を学校に車を走らせているとき「今日も朝日が(いつもと同じ気持ちで)見られてよかった。」と思う。 学校には8時に着くが、9時~11時、T先生に部活を見てもらう。
 昼13時過ぎ。処置中で入れない?
 15時すぎ、脈は120くらいだが、血圧が40~90と低い!  息が荒く、浅い。 とても苦しそう。 タンがからんでこのまま息を止めるのではと心配になる。 朝の面会で考えたことを思い出す。 8月の奇跡は起こるだろうか。
 「娘にタ食を食べさせたらまた病院に行こう。だからビールは飲まない。今日から中日巨人3連戦である。元気だったらヨウスケはラジオにかじりついていただろうに。」
 タ食は焼きそばと母さんの作っておいた人参の肉巻き。 娘は友達の家に行っていて、18時過ぎに帰ってくる。 「兄ちゃんには会えなくなるかもしれないよ。」と面会に誘ったが、「苦しそうな兄ちゃんに会うのはいやだ。」と言う。 19時すぎ、面会。 Dr.Kの話では、ここ2~3日がヤマ。 人工呼吸器をつけることになり、治療室から出される。 M母来てくれて、処置が済んだ20時すぎ、また入れてもらう。 呼吸が楽になったのか、穏やか。 母はMさんに乗せてもらう。 おじいちゃん、I伯母を送る。 帰宅後ビールを飲んでいたらH母、トーモロコシを持ってあらわれる。 ブラスで歌謡曲をやる話で気が晴れる。 中日巨人戦は槙原の四球などでなんとサヨナラ勝ち。 ヨウスケもサヨナラ勝ちとなれ!
18日 (水)
 両親の命日。 両親と祖母の3人を一度に失ったあの時、父は16才だった。 息子が16才の今、その息子が死にかけているなんて…  朝の面会①、娘も連れて3人で。 娘が病院に行くのは術後初めてだ。 おじいちゃんも来ていた。 呼吸器のおかげで苦しそうではない。 脈も血圧も持ちこたえたか。 やや熱っぽい。 娘、兄の姿を見て大粒の涙をこぼす。 声をかけることはできない。 8時15分まで、じっと見ていた。 そのまま3人で八事の墓地へ。 入院の翌日、4日(2週間前)に草取りをしたばかりなのに30cmぐらい草が伸びていた。 母の墓にだけ花が。 Hの伯母がよってくれたのだろうか。 3人で草取り。 カマで地下茎を切って掘り出す。 あっというまに1時間ぐらいかかる。 母を日赤で降ろし、娘とマツザカヤストア。 おかずを買う。 昼は冷凍のハヤシライスとサラダ。 娘はずっと家にいて、16時半、CDを買いにひとりで出ていく。 昼すぎのTELでは落ち着いているようなのでタ食後面会に行こうと思う。 娘が出掛けたすぐ後、Hから近くまで来ていると突然のTEL。 わざわざ大阪から心配して来てくれた。 話しているうちに泣きそうになる。 アイスコーヒーをつくる。 Hの娘は3人とも吹奏楽部なのでいろいろバンドの話などで気を紛らす。 娘にタ食をつくるのだから、食べていけといったのに、附中のまわりでも散歩して帰ると言う。
 母からTEL。Dr.Kが、「血液、尿、やや落ち着いた。」と言っていたそうだ。 やや安心。 ところが、「MRSAに感染した、手洗いをしっかり。」と言われたらしい。 この時それが何を意味するかはわからなかった。 タ食はトーモロコシともやし妙め。7時過ぎ病院へ。 窓口からI伯母の笑顔が見え、安心。 ヨウスケはおだやか。 家に寄り、Yさんを送る。 中日は逃げ切る。 父の高校時代、ボート部の友人、S氏からの手紙
「18 Aug. 1999
親愛なるTへ
まもなく夏も終わろうとしています。 元気を出せと言っても難しいかも知れないがそれでも元気出して下さい。 最善を尽くして、後は待つしかない時もある。 きっと良い結果になると信じて待つしかない時もある。 他人に対して常に思いやりと優しさで接してきたTの事だから、きっと良い結果となる。 そう信じます。
 Hには会いましたか?  とても心配していました。 Yも心配しています。
皆が、Tの息子の為に祈っています。
何か手伝えることがあったら声をかけて下さい。」
19日 (木)
 朝、呼吸は楽そう。 目にガーゼをあてられていたが、とると目をきょろきょろさせた。 9時前、出校。T先生11時まで。 そのあと「スマップ」と「ウエストサイドストーリー」12時まで。 「ウエストサイド」にある「トウナイト」、トニーとマリアが会うバルコニーならぬアパートの階段のシーンで歌われる曲だ。 その歌詞は、
 Today,all all I had a feeling,A miracle would happen...
 「今日一日、何か奇跡が起こる、そんな予感がしていた…」
 ヨウスケにも奇跡が起こるようにと念じて、この曲を振った。 13時すぎTEL。 小康状態というので、アステイによって帰宅。
 夜19時面会。 母と姉。 中日は負けていた。 姉、家へ。 ビールいっぱい飲む。 22時半過ぎ、同点、ついに12回サヨナラ勝ち。 なんと巨人相手に3タテに。 ちょっと勇気づけられる。 こういうことだってあるのだ。
20日 (金)
 7時過ぎ面会①。 穏やか。 ナースさんがDr.Kに「グー、チョキ、パーもできたんですよ。」と報告していたのはヨウスケのことか他の患者さんのことか分からないが…  ガーゼがとれ、ときどき目をあける。 特に左目がパッチリ開く。 ヨウスケの顔だ。 とはいうものの、隣のベッドの人は流動食を摂っているのに、彼は点滴だけ。 長い長い道のりだ。 9時前、学校。 11時合奏。 レコード大賞~エル・クンパンチェロ~2年バンド。
 1時すぎ、母よりTEL。 穏やかだという伝言だったが、朝、目を開けていたので、めずらしく2時からの面会③に行く。
 夕食は妙飯。 19時病院。 大きな両目をパッチリあけてキョロキョロする。 帰りがけ、Mさん来てくれる。 Y姉、家からバスで祖母宅へ帰る。
 夜、母ソファーで泣く。 学校が今日でお別れだ。 G父と、あとから母、来てくれる。 早めに寝てしまう。
21日 (土)
 期待して朝7時、2人で面会①へ。 寝ている。 顔は真っ青。 血圧が40~90。 低い。 2日続けていいことはないか。 山形へ帰る姉を本山まで送って帰宅。 娘を起こしにいくと、昨夜書いたのか置き手紙があった。
 ・今日は寝させてほしい。
 ・東急ハンズに行きたい。 忙しいからだめかなあ。(時計とバッグがほしい)
 ・兄ちゃんのことを教えてほしい。 何ができて、何ができないのか。
 学校へ出掛け、部活。13時すぎ帰宅。 娘と栄へ出掛ける。 いろいろ歩き回ったが、お目当てのバッグはなし。 タ方早く出掛けたが、名大裏から道を間違え、星ケ丘まで行ってしまい、結局いつもどおり19時に病院。 目だけはヨウスケの目だ。
22日 (日)
 7時、2人で病院へ。 寝ている。 咳をするととても苦しそう。 目はあいかわらずパッチリ開く。 看護婦さん「歯をみがくとき、お□あけてといったらあけたんですよ。」8時すぎ帰る。 7時迎え。 帰りぎわにM母、マッサージしてくれる。 母、かなり疲れて帰ってきた。
23日 (月)
 7時10分、ひとりで面会①。 ヨウスケの手をにぎりしめて、話し掛ける。 今日も無事朝が迎えられた。 それだけがうれしい。 少し苦しそう。
 出校日で学校に向かう車の中、ずっと泣いていた。
 13時近くに病院へ。 たった5分の面会②。 朝は心配だったが、少し落ち着いたようだ。 携帯電話を買う。
 14時面会③。 ドロ~ンとして変化なし。 40分くらいで治療室からでてしまう。 祖父母を家までおくる。
 娘は友達の家へ。 18時すぎに戻ってきた娘にタ食をつくる。 7時10、面会④。 母の顔が穏やか。 Dr.の話によると、血小板2万(千?)の時もあったが、危ない時は脱したそうだ。 少し安心。 帰ってから母「昨日はお腹が突然ケイレンして、Dr.Kは何も言ってくれず、心配だった。」 M母、わたしたちが帰ったあと、行ってくれたようだ。 春日井高校A先生TEL。 TさんTEL。 「血小板がもどったのはOKだ。」
 久しぶりにビールがうまい。
24日 (火)
  7時5分本山まわりでおじいちゃんをのせる。 ヨウスケ寝ている。 咳をすると目をカッとひらく。 頭の包帯がはずしてあった。 穏やか。 8時帰宅。
 15時、電話で変わりなしとのこと。
 19時過ぎ迎え。 母、涙顔。熱が高いらしく、脈120、赤い顔をしている。 息はおだやか。 半分寝ているのか‥  右目だけ半分開いている。 包帯を巻きなおして目が閉じられないのか、まぶたがはれている。 顔全体もむくんでいるようだ。 Dr.S「熱と発疹は薬の副作用かもしれない。」など。 意識はやっぱりない。 白血球が減っているそうだ。 M母マッサージ~20時。 昨日喜んだのに、今日は落ち込む。 早く寝て早く明日ヨウスケに会おうと、母は寝てしまった。 お疲れだ。
25日 (水)
 7時前、赤い顔をしてうつろな目で寝ている。 「すっごく暴れるので、しばったのですよ。」と看護婦さん。 左足縛られる。 熱は座薬で押さえられている。 MDを持っていって聞かせる。 3回目?  おじいちゃんが「きこえるか?」といったらうなづいた(ような気がした)。8時までいる。
 面会③、熱が高いと言うので、慌ててでかけるが、思ったほどではない。
 面会④、穏やかに寝入ったと思ったら、全身ケイレン。 Mさんが来ていて、「アイスノンはとってもらったら」という。 布団かけて、座薬。 母泣きだす。8時20分ごろまで入る。 明日まで元気でいてくれるよう祈るのみ。 ちっともよくならない。
 帰宅後、ヨウスケの写真(11月3日)を見て泣く。
26日 (木)
術後20日目

 朝、右手の発疹すごい。 看護婦さんに、グー、チョキ、パーをしたらしい。 久々の進歩か。
 母、K中に荷物整理に。 出掛けに、k校長が「娘が世話になったと」言う。 M中ブラスのKだった。 娘をつれてユニクロヘ。 迷った末にバッグを買う。
 夜、手帳に「寝ている」と書いてあるが、どんな様子か忘れてしまった。 白血球は減少しているが、骨髄検査の結果は良好だったそうだ。 頭の包帯がとれ、帽子がかぶされていた。
27日 (金)
 とうとう3週間が過ぎた。 朝、坊主頭。ずっと寝ている。 父、16時まで日直。 娘、サーカスに連れていってもらって、19時すぎに帰ったようだ。
 夜、19時半近くにやっと病院。 ずっと動きもせず寝ている。 脈、初の70代。
 帰宅後、Yさん、Hさん来る。 ピアノの先生、結婚したという話。
28日 (土)
 CBCこども音楽コンクール。 2年バンドで出る(アパラチアン序曲)。 本番11時半ごろ。 時間が中途半端だったので面会前に八事墓掃除にでかける。
 昼から急に震えだし、熱も39度くらいあったというが、寒い? 暑い? との問いに、くびを振ったり、首肯いたりしたらしい。 右足もかなり曲げることができたとか。
 夜はぐっすり寝ている。 坊主頭むき出し。チューブを通して鼻から水をもらっていた。 ここ2,3日、寝顔しかみてない。
29日 (日)
 朝面会①、看護婦さん「今朝3時ごろ起きて、今はぐっすりですよ。」 そのとおり、よく寝ている。 脈70代。
 午前中庭の草取り。 草ぼうぼうである。
 昼前、とても反応がよかったそうだ。 いろいろうなづいたり、MDは覚えてないとか。 右足もかなり曲げたらしい。 12時すぎに2人で行く。 14時~15時。 目をパッチリあけた。
 夜、ときどき激しく咳き込む。 体をエビのようにまげて苦しそう。 また悪寒。 震えだす。 「汗があまり出ないんですよ。」とナースさん。 M母来てくれる。 母、涙顔。 座薬が効かなくなっているのでは?  今日はいいことがたくさんあったのだからと慰める。 夜、野球部のK先生TEL。
30日 (月)
 朝は秋の気配。 ヨウスケはこの夏を知らずに過ごしてしまった。 7時面会①、赤い顔して寝ている。 左足がときどき動く。 今朝は縛られていた。 咳をすると苦しそうにしながら大きな目を開く。 母が、右半身だけ汗をかいているという。 今日の進歩1だ。 おじいちゃんのかわりに今日はおばあちゃんがきていた。 流動食が届いていたが、それを摂らせるまえに帰宅。 12時過ぎ、2人で面会②。 寝ているが熱が高そう。 13時前、また全身に震えがくる。 14時過ぎ、面会③。 Kナース「グーとパーはできるけど、チョキができないんですよ。」 足上げできない。 熱高い。 脈140。 シーツが汗で濡れて取り替える。 背の高いDr.「タ方と明日、輸血をする。血小板は80%回復したが、白血球、赤血球が半分くらいしかない。今朝の流動食が吸収されるようだと、血液の状態は改善されるだろう。意識はかなり戻っている時間が長くなっている。」
 15時10分、おばあちゃんを送って帰宅。 夜、栄のジャズクラブ、ラブリーで、高校時代の友人のTと、山下洋輔+森山威男トリオを聴く。 本当は6月、調子の悪かったヨウスケを元気づけようと買っておいたチケットだった。 聴いていて目頭が熱くなる。 すさまじい演奏だった。 「あなたは、私の青春そのもの」という、全然関係ないユーミンの曲が頭に鳴り響いた。 あの洋輔さんの名前をつけたヨースケが、くたばるはずがない! 久しぶりにほっとするひとときであった。 隣の飲み屋で、べーシストの鈴木勲氏に会い、少し話す。 去年ラブリーにフルートの小宅珠実さんを連れてきた人だ。 生ビール飲んで帰る。
31日 (火)
 いよいよ夏休み最終日。 朝、2人で病院に行ける最後の日だ。 本山まわりでおばあちゃんをバス停で拾う。 寝ている。 人工呼吸器が外された。 細いチューブで酸素だけ送っている。 父、9時前、自転車で旭丘小学校へ胃がん検診。 近所の幼なじみ、S先生(向陽高校)に偶然会い、ヨウスケのことを話す。 びっくりしていた。 昼は娘のリクエストでラーメン。 昼からは面会をあきらめ、テストづくり、学年通信づくり。 夏休み最後は3人でタ食を食べようということで、病院は6時~7時。 ときどき起きる。 何か力んでいて、母が、「うんちでたの?」と聞くと、確かに2度うなづいた。 MDには反応せず。 パッチリあいた目の目やにをとろうと、母がテイツシュをかざすと、目を閉じる。 今日は見えているのだ。19時、おじいちゃんとバトンタッチ。 ほとんど熟睡。 早く帰って3人で夕食だ。 おかずはおじいちゃんが釣ってきたタイの刺身。 22時、SよりTEL。 まだ会社だと言う。 昨日の山下洋輔の話などして、元気づけられる。

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