9月後半の日誌
ライン
16日 (木)
 夜、頭がずっと小刻みに震える。 いろいろ話し掛ける。 東海病院から外泊した日のこと、ユニーへ言った、マジカルヘCDを見に行った、夜めずらしく、ピザがうまいと、たくさん食べたこと(入院前、食欲が全然なかった)、日曜日、床屋へいったこと、父さんは心配で迎えに行ったこと。 最後の夜は混ぜご飯だった。 父さんは泣きながら食べていたことを知っていたかと尋ねたり。 八事に転院の日、わざと家の前を通ったのに、ヨウスケは野球帽をかぶって澄まして座っていた…  しゃべっている間、それを聞いていた母はいたたまれず、治療室から外に出てしまった。 話しているあいだ、握っていたヨウスケの手が少し反応したような気がした。 M母、マッサージに来てくれる。 Dr.K、「頭が震える理由は分からない。点滴は減らしていくつもり」 ラジオを持っていったが、治療室の中はうまく入らない。 ナイターを聞かせたら何か反応があるかと思ったが、失敗。
17日 (金)
 朝、穏やか、毛布をかけている。
 夜、昨日と同じ、頭が震える。 どうかなってしまうのではないか。 咳がまたひどくなった。
18日 (土)
It’s getting better

 朝、いつものように病院によって学校。 3時間目稲武集会。 M先生と談話室で話していて、やはり稲武どころではない、やめようと思い、S先生、教頭に申し出る。
 13時TEL。 「アイウエオ」と言った。 15時、マッサージのMさんに、「いやだ」と言った。
 夜、たしかに「アイウエオ」と言った!
19日 (日)
 朝の面会、おじいちゃんと。 ずっと寝ている。 部活へ。 14時すぎ面会③。 Mさんにマッサージをしてもらっていて、「どこかしてもらいたいところある?」と聞かれ、「右腕」とはっきり言った。 しばらくたって「マッサージもういい。」とも。 右、腕という言葉を覚えていたことに感動!
 夜は変化なし。
20日 (月)
 朝寝ている。 13時のTELでも寝ている。 5限後、運営委員会最中のTELではいろいろしゃべったという。 14時すぎの面会③で、「おしっこ」「うんち」、マッサージで「痛い」といったようだ。
 休部にして、K中で吹奏楽フェステイバルの打ち合せ。 18時50分ごろ裏道を通って病院へ。 夜はコトバはしゃべらなかった。 両手はまったく問題ないとのこと。 右目が真っ赤に充血。
 帰りの車のなかで、母「たとえ今のままの状態でストップしても、手術してよかったとようやく思えるようになった。」と。 TさんTEL。 野球部のK先生TEL。
父の埼玉の伯母より見舞いの手紙

「ようやく秋らしくなってきましたが、その後ヨウスケ君の具合はいかがですか。 そばにいながら何もして上げられないのは本当につらい事とお察しします。 こんな時はどんな慰めの言葉も見当りません。 ただ奇跡を信じて祈るばかりです。 私の祈りが少しでも彼に届きますように。 少しですがお見舞いです。
 C」
21日 (火)
 朝、「オハヨー。」と言う。 はじめて、2,3限の空きで学校を抜け出して面会②に行く。 期待していたのに寝ていてがっかり。 Dr.に「何でも欲しいもの、プリンでもヨーグルトでもはたべていい。」といわれ、首をふったそうだ。 母、お疲れ。
22日 (水)
 15時すぎのTEL。 「トイレ」と言ったり、いろいろできたようだ。 夜、母に「お父さんと言ってごらん」と言われ、「オトーサン」と言う。 歯磨きをする。 ナースさんに、歯ブラシを渡され、自分で磨いた。 目は閉じたままだが、ブクブク、ぺっぺっと吐き出すこともできた。 不自由だった右手を使って!  涙が出てくる。プリンやヨーグルトはどうかと言われ、「プリンが食べたい。」と言った! 「おかゆが食べたい。」とも!
 埼玉、T伯母にTEL。
23日 (木)
49日ぶりにものを食べる!

 2人で朝①の面会へ。 プリンを買っていったものの、寝ている。 帰って娘と3人でユニクロヘ。 ラーメン屋でお昼。 娘にも付き合ってやらねば。 12時半ごろ病院へ。 寝ている。14時面会③、プリンを約半分食べる。 Mさんも見ていた。 夜18時、家から持っていったおかゆを全部食べた。 ものを食べたのは49日ぶり。 水を飲むときに「楽飲みがいい。」という。 そんなコトバも覚えていたのだ!
 夜、G父、祝いに駆付けてくれる。 あとでG母もやってきて祝杯!
24日 (金)
 朝、病院食でおかゆを4匙くらい食べる。 寝ている。
 稲武に行かないことを校長に申し出る。 朝の職員打ち合せで発表。
 13時のTELで、集中治療室を出て、隣の個室へ移ったことを知る。 18時前に病院へ。 鼻のチューブが気になるのか、しきりに鼻をさわる。 手術後、ずっと控え室に転がしてあったTVをつないで、ヤクルト、巨人戦を見る。 「だれが打ったの?高橋?松井?」と聞く。 選手の名前を覚えているだけでなく、昼間、「中日の優勝は7年ぶりだ。」というデータも知っていた。 驚き。 「今、どこにいるか分かる?」と尋ねられて「日赤。」と答えることができた。 「今は何月。」との問いに、「2月。」と答えたのにはがっかり。 執刀医のDr.Sが病室にやってきて、「よーくがんばった。」とヨウスケの膝を2回ほど叩いた。 Dr.も喜んでくれた。
25日 (土)
 部活は台風模様で中止にした。 朝8時ごろ病院。 個室に移ったので、今までの面会時間に縛られることはない。 ヨウスケの古いラジカセ(中学入学祝い)を持っていく。 小さな音でCDをかける。 朝ご飯はノドが痛いといって全く食べない。
 10時、八事墓掃除。 隣の荒れ果てた外人墓地の墓碑銘を手帳に書き写す。 以前から気になっていたが、「B氏の妻」とある。 亡くなった祖母からちょくちょく聞いたことのある名前だ。 その墓地も、簡単に草刈りをする。 昼、病院の隣のとんかつ。
 昼すぎ、目が痛いと言うので、目薬をさしてやると、「これではダメ、参天製薬のがいい。」と言う。 元気な時に家で使っていた目薬「スマイル」の会社名を覚えていて、びっくり。
 夜、迎え。 夕食は三分の一くらい食べる。 エビのように体をおりまげ、M母のマッサージを受けながら寝てしまった。 鼻チューブを引き抜いてしまう。
 母にヨウスケが言った話。 「トイレに自分で行きたい。 よく夢をみる。 いつも同じ夢。 鼻にチューブをつけた自分。 はやく現実に戻りたい。」 何度もベッドに座ろうとしたらしい。 「死にかけたんだよ。」と言うと、「死んだほうがまし。」と言ったようだ。 頭のクリアなことは驚くばかりである。 体の自由がきかないのがもどかしいのだろう。
 朝だったか、ナースさんが、「よかったね、ようすけ君。退院の時は、歩いて帰るんだよ。」と言った。 ほんとうにそこまで回復できたら、夢のようだと思う。 ダイエー優勝。 中日はマジック6。
26日 (日)
 朝母を送って、少しだけ病院にいる。 朝食は「ノドが痛い。」と言ってほとんど食べない。 帰宅後、娘に朝食。 ダイエー優勝セールで、上飯田のダイエーへ。 MDレコーダーを買ってしまう。
 14時前、自転車で病院へ。 ヨウスケはノドが痛い、頭が痛いで昼食も食べない。 15時、頭をシャンプーしてもらう。
 18時夕食。 半分くらい食べられれば流動食のチューブが抜いてもらえるときいて、「あとどのくらいで半分?」と何度も尋ねる。 とうとう半分近く食べた。 お茶も、ストローで飲もうとする。 座っているのがしんどい。
 TVで中日阪神戦をヨウスケと見る。 9回、ソンドンヨルが3ランを打たれ、4対2。 今日はダメかと思ったのに、9回裏、山崎が3ランでサヨナラ勝ち。 すごい!  ヨウスケは片目を少しだけあけ、TVを見ているのか見ていないのか・・・  しきりに右目をあけようとするのだが。 母が帰ったあと、体を震わせている。
 「オシッコ?」と聞くとうなづく。 「チューブがっないであるからすればいいんだよ。」 「なぜかときどき漏れる。漏れたらどうするの。」 「オムッしてるから大丈夫。」 20時前、帰ろうとしたら、えびのように丸まっていたヨウスケが、体を反転させて起き上がろうとした。
27日 (月)
 稲武へ行く生徒を朝送り出す。 クラスのNがメッセージといっしょに千羽鶴をくれる。

 S先生とようすけ君へ。
 調子はどうですか。下記の人たちと、ひとつひとつ、心をこめて千羽鶴を折りました。 少しでも役にたつといいです。
 先生は息子さんがどんな状態でも笑顔を絶やしません。 とても強い先生だと思います。 命について話してもらった時、命の大切さを知ることができました。
これから少しでも息子さんの調子がよくなることを心から願っています。
  ・代表y・N
  ・A・Y、C・Y、K・I(吹奏楽部)
  ・K、A・K、H・K(吹奏楽部)

 一度帰宅、昼食前、八事墓地に車を止め、自転車で病院へ。 昼食を自分で食べると言い張り、頭をかかえ、ぎこちないながらもスプーンをにぎりしめ、半分近く食べる。 見ていておじいちゃん、感激。 それからずっと寝る。 リハビリの先生が来ても、すわる元気がない。 看護婦さんとCDの話をしていて、「ヨウスケの好きなバンドはモンテカルロなんとか。」といったら、「モンテビデオ」とヨウスケが訂正。
 卒業生のYの母と弟(中2、稲武には行けなかった)、透析の帰りに見舞いに寄ってくれる。 癒しのCDをもらう。
 夕方、ずっとねていたと思ったら、突然起き上がろうとした。
 「現実に戻りたい、夢から覚めたい、何で同じ夢ばかり見るんだ。 手術して何も変わってない。 夢でない証拠をみせろ。」と、土曜日と同じことを言う。 術後の時間は彼の中では完全に停止している。 7週間も意識不明だったことが欠落しているのだ。 「だんだん元気になってきたのだよ。」と言うと「嘘だ、現実はもっと元気だったわ。」と声を搾り出すように言う。 「やめろ」と言うのに流動食のチューブを引き抜こうとする。 「それをとっても現実には戻れないのだよ。」と必死でなだめる。 ナースさんも2人がかりでもとにもどしてもらう。
 すこし落ち着いて夕食。 「しっかり食べなきゃ。せめて半分。」 「半分はとっくに食べたはずだ。」 最後の2口、自分で食べる。
 目が見えない(左の目があかない)が苦痛のよう。 術後すぐ、母が、「寝ているときだってまぶたをとじられない。」と言って泣いた。 今は起きていても目があかないのだ。 不思議と寝ているとき、両目をきょろきょろさせる。 集中治療室で保険屋のオバサンがわがまま言いたい放題だったとき、母がヨウスケに「わがままいってもいいんだよ。」と何度も語りかけていたが、今はヨウスケのわがままに泣いている。 昼前まで、「稲武についていかなくてもいいのか。」という迷いがあったが、ヨウスケのパニックを見て、残っていてよかったと思う。
28日 (火)
 朝早く、母は病院へ。 父あとから。 またチューブを抜いてしまった。 朝食はプリンだけ。 午前中はほとんど寝ている。
 昼食は「あれ、食べよ」のカレー。 平らげる。 昼から目があいていて、水、コーラを飲む。 父、3年の授業に出掛ける。
 3時、父再び病院へ。 リハビリの先生に「車椅子のったことないの?」と言われる。 「ナースコールはどうするの。」 「目の治療をしてくれ。」 「ザードのいちばん古いCDを聞きたい。」 17時半、早く食べたいと、また「あれ、食べよ」のハヤシライス。 最後、自分で食べる。 夜、帰ろうとしたら、手をベッドに縛り付けるのを嫌がる。 「絶対チューブは抜かない、見張っててくれ。」 「夜中、見てられないよ。」 「なら、交替で見ててくれ。」 看護婦さんが、「気をつけてますから。」と言うので、そのまま帰ってしまったのがいけなかった。 夜チューブを抜いて、自分でトイレヘ行こうとしてベッドから落ち、泣いていたそうだ。 交替でみててくれというのは、泊まっていってくれということだったのか。
 親が帰ったあと、Dr.sに「目を見てくれ、S先生ではなくて、眼科の先生に見てもらいたい。」と言ったらしい。
29日 (水)
泊込み始まる

 娘、体育大会、母、早く病院へ。 父、春日井高校ヘファックス第2信を送る。 なかなかかけない。 TELでベッドから落ちたこと、チューブを引き抜いたことなどを知る。 朝食はむりやり食べたそうだ。
 11時過ぎ、父行く。 朝食後ずっと寝ている。 心なしかすこし青ざめてみえる。 点滴がとれ、流動食のチューブもなくなった!  あとはオシッコのチューブだけである。 Mさん夫妻見舞い。 ヨウスケは起きられず、昼食も食べない。
 13時に病院を出て、隣の知多家で昼食後、学校へ。 生徒たち、稲武の野外教育より無事戻る。 17時前、また病院へ。
 昼から一口も食べない、一口も飲まない。 リハビリの先生が来たとき、ベッドから降りるといって、また別世界状態となるその後、また寝る。 母、リハビリ用にバレーシューズを買ってくる。 T牧師夫人見舞い。 車椅子に載って廊下にでて、バーにつかまり立ちをしたらしい。 17時すぎ、オシッコと言って容器にした。 タ方帰宅。 娘にクリームシチュー作る。
 この間、「早く家に帰りたい/死にたい」と言ったそうだ。 夕食はカレーを半分。
 20時半すぎ、再度病院へ。 母とMさん、気分転換に外出。 オシメが濡れているというので、ナースコールを押しているうちにオシッコをしてしまう。 昨日のことがあったので、この日からどちらかが泊まり込むことにする。 まず母が泊まる。 遅くまでいようと思っていたが、「妹のために早く帰って。」といわれ、マツザカヤストアで弁当のおかずを買って、21時すぎ帰宅。 中日、マジック1となる。
30日 (木)
ドラゴンズ優勝!

 娘に弁当を作り、洗濯機を回し、8時過ぎ病院へ。 Tさん店が休みの日なので、車はサ○ナの駐車場に入れっぱなし。 ヨウスケは朝ご飯を少々食べたところ。 母と交替。 昨日のシチューをすこし持っていく。 朝ご飯の途中で、3日ぶりに便が出る。 9時すぎ、おしっこ、ずいぶん待って便器にできた。 今日、父さんが泊まろうかというとうなづく。 午前中はずっと寝ている。 途中、カッと目を見開いて、おばあちゃんに「時計!」と言って、腕時計を取ってもらう。 自分の時計を握り締めて、夢でも見ているのか。 ヨウスケの頭に去来するのは、白球を追っていた自分の姿だろうか…  と思うと、涙が止まらない。 ナースさんに「お風呂入ってみようか。」と言われるが、返事なし。 父、サンドウイッチとコーヒー、500円の昼食。 昼食は持参のシチューをごはんにかけて、3,4口たべたところで、母戻る。 結局シチューと、おじいちゃんのもってきたそぼろをすこし食べただけで、ずっと寝ている。 「1週間前に戻ったみたい。」と母。
 3時半すぎ、リハビリの先生に車椅子に乗せてもらう。 カッと目を見開き、個室の前を進み、ほんの5mほど、先生に先導されて、必死の形相で自力でこいだ。 手術の待合となったところの窓際まで連れていってもらい、病院の北側、名大のほうの景色を眺める。サ○ナの駐車場に停めたうちのデリカはちょうど隠れて見えなかった。 手術の時、10時間ぼんやりまって眺めていた窓からの風景を、55日めにしてヨウスケが見ていた。 顔を歪めて、苦しそうではあったが。 2度と見られないかもしれないと思っていた外界の様子を、ヨウスケはまた見ることができたと思うと、涙がこぼれる。 「明日、調子がよければ、下のリハビリルームヘ連れていく」と言う。
 ヨウスケを部屋に戻して、屋上にタバコを吸いに上がる。 階段で掃除のおばさんにあって、「やっと車椅子に乗れるまでになりました。7週間も集中にいたんですよ。」と報告。 おばさんもヨウスケのことは覚えていてくれた。 手術室に向かうヨウスケに、エレベーター前で「兄ちゃん、がんばってね。」と声をかけてくれた人だ。 「あの子、勉強好きなんかね。一生懸命やっとって、心に残っとるんだわ。あとすこし、お父さんもがんばってね。」と言ってくれた。 屋上でひとり泣く。 昼は時計をにぎりしめて寝ているヨウスケが哀れに思えたが、車椅子のヨウスケにも泣けた。 とにかく必死の形相だった。
 夕方、眼科の女医さんが来てくれて、角膜炎の一種だと言う。 目の表面についたゴミ(細胞の死骸)をピンセットで取りのぞいて、目薬を3つくれる。 脳の障害で目が見えないのではないかと心配していたが、一安心。
 娘のために帰ると、18時ごろ帰ってきて、「名古屋ドームヘ優勝戦の中継を見にいく」と言う。 友達のお父さんが連れていってくれるからというのはどうもウソの様だったが、23時ごろ、にわか中日ファンになって戻ってきた。 ゲームもないのに、ドームは超満員だったらしい。 TVでも優勝決定戦の合間に、名古屋ドームの様子を放送していた。 後から聞くと、グランドを走り回ったらしい。 中日優勝、対ヤクルト、4点のビハインドをひっくり返したから、たいしたものだ。
 22時ごろ母よりTEL。 ヨウスケはやっと寝た。 優勝決定戦のTVは途中まで見ていたが、感動している様子はなかったそうだ。

< 前の日誌へ次の日誌へ >

ライン